嶋田隆司のブログ
名前:嶋田隆司
ふりがな:しまだたかし
所属:ゆでたまご
誕生日:1960年10月28日
現在の年齢:64歳
星座:蠍座
嶋田隆司の所属グループ
ゆでたまご
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プロフィール
嶋田隆司(しまだたかし)
漫画家、ゆでたまごの原作担当。
大阪府大阪市西淀川区出身、1960年10月28日生まれ。
私立初芝高等学校卒。
1984年頃までは金山隆司(かなやまたかし)と名乗っていた。
映画の試写会などイベントや、インタビューなどメディアへの露出は嶋田のみであることが多い。
単行本の著者近影において遊んでいる写真が多く使用されている。
少年時代はやんちゃで、幼稚園では女の子にキスをせまるなどませた子供だったが、近所の子供の寄り合い等は嫌いだったという。
テレビ好きで、好きな番組は『プレイガール』。
漫画をよく読み、自分でも描いており『キン肉マン』は嶋田が中井に出会う前から大学ノートに描いていたものが元になっている。
2007年12月8日に結婚。
六本木のクラブを貸し切りにした盛大な結婚式が行われた。
どんなペンネームが良いかと考えている際に、嶋田が放屁したらゆで卵のような臭いがしたため、それでいいかと思い決まった、とする中井説と、その時に食べていたものがゆで卵だったので「ゆでたまご」になった、とする嶋田説がある。
2人とも記憶が曖昧でどちらが正しいのかは不明だが、嶋田はインタビュー中に中井説の方を認めている。
なお『週刊少年ジャンプ』の目次には作者の「ひとこと」が掲載されるが、その際には「ゆで」か「たまご」でサインしていたのに対し、ある号のグラビアページ企画「作者手相」では「ゆでたま」と「ご」となっていた。
小学4年生の3学期(1971年)、嶋田の通う大阪市立住之江小学校に中井が転入する。クラスは違ったが同じ団地に住んでおり、通学バスで時々乗り合わせる内に知り合った。小学5年生の時中井が嶋田の家に遊びに行った際、嶋田の描いた『キン肉マン』を気に入り意気投合した。
ともに大阪市立南稜中学校に進み、漫画の合作を本格的に開始する。最初に描いたのがアクション漫画『野獣の牙』で、これを始めとして野球、空手、純愛など様々なジャンルに挑戦する。当初は大学ノートにお互いが描き合うという形だったが、中学2年で『ラーメン屋のトンやん』を初めてペンで描き、これが近鉄漫画賞に入賞する。当時のペンネームは2人の名前を合わせた本山たかよし(もとやま たかよし)。
初芝高等学校へも揃って進学し、漫画家になることを目標に投稿を続けた。この頃から原作と作画をそれぞれ嶋田と中井が分担し始める。2人とも母子家庭で、高校を卒業すると就職のために漫画を描けなくなるということから、高校卒業までに漫画家になるという目標を持っていた。16歳の時、赤塚賞に『ゴングですよ』、手塚賞に『マンモス』(共にプロレス漫画)を投稿し選外、この際に集英社の編集者に見い出され、読切のオファーもあった。
1978年、『キン肉マン』で第9回赤塚賞準入選、これが『週刊少年ジャンプ』1979年2号(1978年12月)に掲載されデビュー。編集部内では稚拙な作品と評判が良くなかったが、当時の編集長西村繁男は、低年齢向け漫画としての資質がある事を見抜いており、大阪まで出向いて2人の親を説得、卒業を待ってプロの漫画家に仕立てた。この時2人は既に就職が決まっていたが、西村は「漫画が続かなかったら就職の世話をする」と約束し、東京にアパートまで用意したという。翌1979年5月、『キン肉マン』を連載開始する。