人間椅子のX(ツイッター)
名前:人間椅子
ふりがな:にんげんいす
人間椅子のSNS全一覧
人間椅子をもっと知る
プロフィール
人間椅子(にんげんいす)は日本のロックバンド。
1987年に青森県弘前市出身の和嶋慎治と鈴木研一によって結成された。
ブラック・サバスなどの70年代ブリティッシュ・ハードロックのサウンドに、日本語の歌詞を載せた独特の音楽性を特徴とする。
青森県立弘前高等学校の同級生であった和嶋慎治(ギター)と鈴木研一(ベース)によって結成される。二人は中学校時代(和嶋は市立第三中学校、鈴木は市立第四中学校)から交流があり、キッスなどのレコードの貸し借りをしていたが、同じ高校に進んだことをきっかけに一緒に曲作りを行うようになる。当時の曲には和嶋の「御伽姫」(鈴木をして「進む道を誤ったかもしれない」と言わしめた佳曲で、フォーク調のラブソング)、鈴木の「デーモン」(倫理教師だった友人の父の蔵書から歌詞を引用。後の「マンドラゴラの花」のリフに発展したという)などがある。これらは後年、青森県ローカルのテレビ番組「人間椅子倶楽部」にて披露された。和嶋は現在でも当時の作曲ノートを所有しており、その中には現在の人間椅子の楽曲の片鱗を覗かせる「赤い月」という曲も残っているという。
高校卒業後、二人は上京し、和嶋は駒澤大学仏教学部、鈴木は上智大学外国語学部ロシア語学科へと進学したが親交が途絶えることはなかった。ある日、大学卒業が間近となっても就職先が見つかっていなかった和嶋がレコード店でブルースのレコードを物色していると、就職活動帰りの鈴木と偶然出くわし、彼から「和嶋ァ、わ、やっぱり就職やめで、バンドやるごとにしたじゃあ」と言われ、本格的な音楽活動に誘われたという。ちなみにこのとき鈴木は日立建機に就職が内定していたにもかかわらず、それを蹴った。
1987年、「死ね死ね団」(特撮番組レインボーマンの敵組織名に由来)として正式に音楽活動を開始。しかし、同名のバンド(「大日本帝国初代新所沢愚連隊死ね死ね団」)がいることを知り、江戸川乱歩の同名短編小説からとった「人間椅子」へと改名する。なお、没になった他のバンド名候補として同じく江戸川乱歩の小説「ペテン師と空気男」があり、後にベストアルバムの題名となっている。和嶋はそのベストアルバムのライナーノーツにおいて鈴木を「ペテン師」、自らを「空気男」であると位置づけている。
1989年、TBS系列で放送されていた深夜番組「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演し「陰獣」を演奏。鈴木の奇抜な衣装(ジェネシス時代のピーター・ガブリエルを意識した物だが、ねずみ男にしか見えない格好。使い古して灰色になった鈴木の布団の敷布を使って作ったもの)の所以で色物バンドと思われたが、それとは裏腹に非常に卓越した演奏技術を見せつけ、辛口の審査員たちからも番組史上でも数少ない“青ランプ連発”で絶賛され完奏したなおこのとき審査員たちが彼らの音楽に対して「文芸ロック」という呼び名をつけたため、以後高評価を受けたバンドに審査員から「○○ロック」と肩書きを与えることが慣例となってしまった。これは審査員側、バンド側の双方にとって大変迷惑なことであったという。
1990年、メルダックより『人間失格』でメジャー・デビュー。バンドブームに乗じて日本で数少ない70年代基調のハードロックバンドとして認知されたが、ブーム終息後は浮き沈みを経験。ドラマーの入れ替わりやインディーズでの活動を経ながらもバンドを存続。
2004年6月に4代目ドラマーとしてナカジマノブが加入。2007年には、新宿ロフトでの「猟奇大作戦〜赤い夕陽が校舎を染めて、お前の額に釘を打つ」にて、改名のきっかけとなったバンド「死ね死ね団」と初共演。
2009年には活動20周年を記念して『人間椅子傑作選〜20周年記念ベスト盤』をリリース。2011年には通算20枚目のアルバム『此岸礼讃』を発表した。