(以下引用)
事故からまもなく40年。日航機123便は群馬県多野郡上野村の高天原山山中(御巣鷹の尾根)ヘ墜落。乗客509人、乗員数15人が乗っており、計520人が亡くなった。
東は朝日新聞のインタビューに応じた内容を投稿。インタビューでは当時の記憶を語っている。
8月11日当日、友人と会う約束で、日航123便で大阪に旅立つ予定だったが、別の友人と会うため便を1つずらしたことで墜落事故を回避したという。40年間、口にしなかった理由も明かしている。
これまで公的には話せなかったし、これからも話さないと心に決めていたのですが、この事故を風化させてはいけない・・という思いも芽生えていて・・マネージャーと話し合って、インタビューに応えることにしました。
— 東ちづる/HOLLY’S GOLF MARKET /Get in touch (@ChizuruA1) August 11, 2025
この日のことは霧がかかったような感じなのに鮮明に覚えて https://t.co/o3MhWpU3K1
いて、今も涙が止まらなくなる。
— 東ちづる/HOLLY’S GOLF MARKET /Get in touch (@ChizuruA1) August 11, 2025
ご遺族の皆さんのことを考えると記事になることも複雑な思い。
「絶対風化させてはいけないとの執念で取材をしています」とジャーナリスト魂のある若い記者だった。
戦争被爆のことも語り継がなければならないと思う昨今。
風化は、歴史を繰り返させるから。
さらに
詳しい記事はこちらの朝日新聞で。https://t.co/4kIkwYRO5w
— 東ちづる/HOLLY’S GOLF MARKET /Get in touch (@ChizuruA1) August 11, 2025
この話題にネットでは
「こんなふうにほんのちょっとしたことが運命を分けるんだなと思う」
「さんまさんもじゃなかった?」
「今さら感がすごい」
「時間が経ったから出来ることもある」
「40年黙っていたならずっと黙っていた方が賢明だったのに」
「私もそう思う。語ることによって事故の真相が明らかになるなら意味があると思うけど、この人の場合そういうことではないよね」
「戦争や被爆とは違う気もするけどね」
「乗ってて奇跡的に生き残ったって言うならまだ分かるけど乗る予定でした、戦争被曝と同じで語り継がなければって違うよね」
「戦争被曝と東さんの乗る予定だったはちょっと違うと思う」
という声も。