(以下引用)
――やまゆり園事件の当時、美良生さんは4歳でした。
仕事中、待機していた車内でニュースを見ました。入所者の親の気持ちになって、私たちの大切な子どもたちが否定された思いになりました。
美良生が生まれた後にダウン症とわかった時の不安と、その後実際に子育てをしてみてわかった現実とのギャップを共有したくて、講演をし始めていた矢先のことでした。世の中の本音を見た気がして、恐ろしかったです。
――どこに「本音」を感じましたか。
植松聖死刑囚の「障害者は生きている価値がない」という考え方を非難する声が圧倒的に多いだろうと思っていたら、目に入るSNSの投稿では、植松死刑囚の背中を押す声も少なくなかった。つらくなるので追わないようにしていました。
ちょうど、(妊婦の血液からおなかの赤ちゃんの染色体異常の有無を調べる)新型出生前検査が広まった頃でもありました。胎児の染色体疾患がわかって「サヨナラする」人が9割、という報道もありました。
(中略)
――この先の懸念はありますか。
街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。
でも、永遠に「健常者」でいられる人はとても限られると思います。老眼鏡も車いすも使わずにずっと生きていけるでしょうか。
人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない。
【やまゆり園事件から9年】奥山佳恵さんが語る
— 朝日新聞社会部 (@Asahi_Shakai) July 25, 2025
「人を『できる』と『できない』に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに『あなたはできないから社会に不必要』と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない」
(奥山佳恵さん)https://t.co/ePa18OEKec
この話題にネットでは
「でも健常者が嫌な目にあっても「障害者だから無罪」って言われちゃうからな…」
「分けているからこそ、光る障害者もいると思うよ。発達障害の方とかは落ち着くんじゃないかな」
「大人のダウン症の方をあまりお見かけしないのは寿命の問題もあるのかと思ってた」
「大人のダウン症の方、見かけるけどね?」
「寿命もあるだろうけど普通に平日の昼間とか仕事(福祉施設からバスで通勤してる人たちを見た事がある)してるから出回ってないだけじゃないかな?」
「老眼鏡使ったら健常者じゃないの?何それ」
「この人、差別と区別を履き違えてると思う」
という声も。