(以下引用)
週3日、1日に6時間の透析治療は過酷で、パパの心と体はみるみる疲弊していきました。あんなに優しかったパパがイライラすることが増え、些細なことで「帰れ!」と激怒して。
大好きな食べ物や飲み物を制限される生活も、応えたようです。医師から塩分は1日に3グラムまでと言われていたのに、しょっぱいものが好きなパパはいつもカバンに塩と醤油を忍ばせていて、パパパッと料理にふりかけてしまう(笑)。私とママは「ダメでしょ!」と言ってそれを捨てるのですが、次の日にはまたカバンの中に入っている。
そんなある日、パパがぽろっと、「好きなもん食べて好きなように死にたい」と言ったんです。その頃から、パパは自分の「最期」について口にするようになりました。忘れられないのは、最後に行った選挙の投票日のこと。
パパはどんなに体がつらい時でも選挙の投票には必ず行く人でした。私が何気なく、「誰に入れるの?」と聞くと、パパは「安楽死を推奨している政治家に入れたい」と言ったんです。「自分の最期は自分で決めたいんだ」と。
パパは人生の最後に安楽死を望んでいました。あの苦しみを見ていましたから、その言葉は私の心に深く刻まれました。人間の尊厳とはなんだろう。生きるとはどういうことだろう、と。
それから間もなくして、19年12月12日にパパは慢性腎不全で亡くなりました。私が駆け付けた時、病室ではまだパパの蘇生措置が行われていました。心臓マッサージで肋骨が折れているけれど、家族の同意がないと打ち切ることができないと言われたので、「もう逝かせてあげてください」って。
「パパのとこに行けるなら、もう別にいいかな」と…ステージ3乳がんの梅宮アンナ(52)が明かす、父への想いと闘病への決意《独占取材》
— 文春オンライン (@bunshun_online) January 30, 2025
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この話題にネットでは
「治療苦しかったんだろうなあ」
「6度のがんの手術と透析もしてたから本当しんどかったと思う」
「アンナさん自身もガンになったし生と死について色々思うところがあるんだろうな」
「ほんと安楽死が選べる社会になってほしいと私も思う」
「尊厳死の議論ってどうやったら深まるんだろうね」
「尊厳死は本人が治療拒否したら自然とそれに近い形になるからじゃない?」
「日本ではなかなかこの話進まないね。なにが原因なんだろう」
「同調圧力が強い国だからと思う」
「安楽死が楽に死ねるとは限らないのに夢見る人の楽園みたいなものでおかしな風潮だと思うわ。極楽に憧れる中世人みたい」
「楽に死ぬのが目的じゃなくて、動けなくなって意識も曖昧になった時に、家族や医療関係者、介護士の方にいつ終わるともわからない間、自分のお世話をさせるのが嫌って人も多いでしょう。人の負担にならずに逝きたいって気持ちは凄くよくわかる」
「病気だとな、死ぬじゃなくて救いでもあると思うわ。長く続く治療だと尚更さ」
「苦しみから解放されるのって救いだよね。いざとなればそれを選択できるかどうかは大きい」
という声も。