(以下引用)
M-1で優勝する漫才師はできるだけ観客に伝わりやすい言葉を使い、観客の予想を巧妙に裏切るよう設計されたネタをつくっている。
でもそうしたテクニカルな構造であるがゆえに、言語能力の高い人には漫才師の狙いがわかってしまう。つまり、セリフの続きやオチのパターンがある程度予測できてしまう。
漫才の基本構造は、心地よい裏切りだ。ということは先の展開が読める人にとっては裏切り自体が存在しなくなるのだ。だから漫才がおもしろく感じられないのである。
さらにM-1は漫才界の最高峰の大会であり、より洗練された「心地よい裏切り」を競う。でも洗練されていればいるほどテクニカルになり、その構造の分析や予想がしやすくなる。言語能力の高い人からすると、ますます楽しめなくなるのだ。
お笑い好きなら、若手や売れない芸人のネタがつまらないと感じることがよくあるはずだ。それはたくさんのお笑いを見てきたことで培った経験値により、彼らのボケやオチが予測できるという理由が大きい。私にとってはM-1のファイナリストであってもそんな状態なのである。
でもその一方で、相変わらずM-1は大人気。毎年爆笑をかっさらっている。
裏を返すと、日本には言語能力の高い人が少ないという証拠なのかもしれない。その高視聴率は、日本人の言語能力の低さの反映だとも考えられる。
堀江貴文が「M-1グランプリの高視聴率は日本人の言語能力の低さを反映している」と断言するワケhttps://t.co/cn579RF4oD@takapon_jp
— 集英社オンライン (@shueisha_online) October 22, 2024
この話題にネットでは
「とんでも理論で草」
「いつだって「浅い持論」を吐いて悦に浸るのがホリエモン」
「じゃあホリエモンM-1出て欲しいw 言語能力の高さを生かしたネタみたいわ〜」
「結果が出なかったら見る側の知能の低さのせいとか言いだしそうw」
「ホリエモンはアキラ100%やとにかく明るい安村路線だよね」
「二人とも言語能力で笑わせてる芸人ではないね」
「M-1の面白さってある程度枠を絞ったなかでどれだけオリジナリティ出せるかみたいなところが競技として受けてるんだけどなあ。ホリエモンは小島よしおとか安村みたいな枠にハマらない笑いが好きってだけでしょ。見た目でわかりやすいというか」
という声も。