(以下引用)
――以前のオダギリさんは年に5、6本近い主演作に出演していました。なぜそんなに、と思うほどでしたよね。
オダギリ 2000年代初頭の日本映画には多様性があって、出たいと思う魅力的な作品がたくさんありました。当時はいろいろな映画を作っていましたよね。エンタメに偏ることなく、なんでこんな作品を……と思うような変わった作品まで(苦笑)。
そのなかで花開いた才能もあったし、名作として残るものもあった。むしろ真っ当な映画なんて作ってたまるかというような、ひねくれたクリエイティビティがカルチャーを推し進めていたようにも感じます。
当時から自分で仕事を選んでいたので、もちろん後悔はないですけど、その多様性が時代とともに薄れていき、そのうえコンプライアンスなど表現そのものに対しても厳しさが増す時代の変化の中で、主役をあまりやりたくないという気持ちになってしまったんでしょうね。ああいう土壌は現在の日本映画にはないですから。
(中略)
――一時期は海外作品に目を向けた時もありましたが、その一方で現在も日本映画に継続的に出演されているのは、なんだかんだ言いつつ日本映画を見捨てていない、ということじゃないですか?
オダギリ いやいや、どうなんですかね(苦笑)。「映画」というものに夢を見ていた世代は、きっと僕らが最後なんでしょうね。若い世代は映画に期待なんかしていないでしょう?
映画に夢を見ていないはずですよ。いろいろなメディアがあって、いろいろな環境でいろいろな情報を得られるこの時代に。それこそ映画を早送りで観たりするわけですから。
僕らは映画に対して敬意や愛情を抱いてきたけど、もうそういう時代ではないんじゃないですか。映画にこだわりを持って、映画にしか出ないという俳優はおそらく二度と現れないでしょう。映画に対する人々の気持ちが大きく変わってしまったんです。
「僕らは映画に“夢”を見た最後の世代でしょうね…」多メディア時代にオダギリジョー(47)が振り返る“日本映画凋落の真相”https://t.co/IBJ9dDXxnS#文春オンライン
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「変化を止められないのはわかってる。でも好きなものが消えていくのは耐えられない」オダギリジョー(47)が今も時代と戦い続ける理由https://t.co/ooNIuSmrbv#文春オンライン
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この話題にネットでは
「映画館に行って予告編見ても邦画で刺さるの全然無いからなぁ」
「本当よね。むしろ音響うるさくて本編の前からグッタリしちゃう」
「邦画ってなんでこんなにアイドルのキャスティングされた内容の薄いものが溢れるようになったのかな?って疑問だったけど、どうやらそのほうがファンが動員されるから固く儲かるかららしい」
「良い邦画もあるんだろうけど、同じ金額を出すとなると何百億円もかかってて上手な人ばっかり出てる洋画の方が、せっかくだから行こうかなって気になる…」
「邦画は漫画チックな大げさな演技が多いし、各プロダクションの俳優・女優を売り出したいって目的が見え透いてるのも原因だと思う」
「良い作品を作るためのキャスティングじゃなくて芸能人を売り出すためのプロモーションムービーみたいになってる」
「昔より趣味が多様になって映画館行く人減ったし映画にお金を払いたいって人が作品じゃなくて俳優のファンだからって人多いんじゃないかな。作品にこだわっても内容がいくらよくてもお客呼べない無名俳優とか好感度低い俳優ばかりだと宣伝もされないしスポンサーも付かないでしょ。多分博打しないで無難に稼ごうとすると今みたいな作品だらけになるんじゃないかな」
「若い子はYouTubeどころかティックトックみたいな短い動画で瞬発性のある面白さを求めるようになったから、映画の余白とかあるとただ退屈な作品だと思うみたいね。歌でさえ、今はイントロが少しでも長いと聴いてもらえないから出来るだけ短いイントロにするようになったと何かの番組で観た」
「タイパタイパだもんね。ドラマも倍速で見て推しが出てるのを見るだけとか、ストーリー大まかに把握して終わりとかだから、役者の演技力とかどうでもいいような感じ」
「まあ映画だけじゃなく日本のエンタメやばくね?みたいなのは他の芸能人も言ってるよね」
という声も。