そして最後のあいさつでは2時間に渡るアイスショーの間、何度も氷に触れた理由についてその思いを明かしました。
(以下引用)
「ここは、宮城県民、そして仙台市民、すべての人々にとって、本当に特別な場所です」。震える声で言った。「ここは…ここは、遺体安置所だったんです」
「だから本当に、こうやって、たくさんの今ある命が、ここの場所に集まって、その中で僕がこんな演技をしてしまって、3月11日という日に、この演技をして、ここに氷を張っていいのだろうかという戸惑いは、すごくすごくありました。
ただ、今日この『notte stellata』をやって、きっと、震災に関わらなかった人も、震災で苦しんだ方々も、そして震災のニュースを見て苦しんだ方々も、ちょっとでも、希望だったり、優しさだったり、そんな時間ができたのではないかなと思っています。
僕が生きて今日という日をみなさんの前で、この会場で迎えることができたのは、少しでも意味があるものになったのかな、と自分を肯定できます」
最後に両手を氷に触れ、リンクを上がった。もう一度マイクを握った。
「どうか最後まで、最後の最後まで、気をつけて帰って下さい。今日ある命は明日もあるとは限りません。今日の今の幸せ明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」
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— スポーツ報知 (@SportsHochi) March 11, 2023
この話題にネットでは
「文字だけなのに、記事を読んで涙が溢れてきました」
「またまたこの記事読んで涙が流れます。会場にいた時のことが蘇って泣けて来ます」
「背負うものが多い人だね」
「なかなか出来ることじゃない」
「劇場型」
「スケート上手いから許されてるけど自分に酔ってるよねこの人…」
「まあ演技がかってるわけだけども、フィギュアスケートって、たとえばフリー「演技」だからさ。演技を競ってきた人が演技がかってしまうのは仕方ないよ、職業病みたいなもの」
「それで心を動かされる人がいるのなら、それが正しいんだと思う。嫌悪感を感じる人は、見ない気にしないを貫けばいいだけ」
「叩かないであげて。表現をすることが羽生選手の悲しみの伝え方だと思う」
「被災者になってない人がとやかくいうのはどうなんだろ。胸の内なんてわからないのに。辛かったと思うよ」
「賛否両論あると思う表現の仕方だけど、羽生選手の被災地への思いは本物だよ」
という声も。