(以下引用)
山崎は高校2年生だった2002年に1年間の米国留学を経験。しかし留学中に両親が離婚し、父親は仕事で北海道へ、母親は故郷の岡山へと戻り、17歳の山崎は帰国後都内の家で祖父母と暮らすことになった。
「今でいうヤングケアラーみたいなものなんですけど…父方の祖父母との生活が始まりまして」と振り返る山崎。VTR出演した山崎の親友によると、祖母は脚が不自由で祖父は認知症を患っていたといい、「夜中、彼がトイレのお手伝いをしてあげたり、高校生とか大学1、2年くらいの時はやってあげていましたね」と明かした。
つらかった介護の日々。支えてくれたのは中学時代からの親友2人だったそうで、祖父母を介護施設へ連れて行ってくれたり、買い物や食事のサポートも。祖父母と鍋料理を囲んで和気あいあいとした時間を過ごすこともあったという。
親友たちは「本当はつらかったと思うんですけど、つらさも笑いに変えながら頑張っていたんだろうなっていうのを今改めて思いますね」と振り返った。
山崎育三郎もヤングケアラーだったことを知って、ちょっと共感なう!♪( ´θ`)ノ
— ebinahisao (@ebinahisao) April 14, 2022
※ちなみに僕はヤングケアラーではないけど#映画『#ミュジコフィリア』@musicophilia_21⠀https://t.co/oznsiY0gz6⠀#京都出身監督の京都舞台の青春音楽映画#松本穂香 #井之脇海 #山崎育三郎 #川添野愛 #大野裕之 pic.twitter.com/zaLXckRObm
この話題にネットでは
「そりゃ友達はバイトや部活やらで楽しんでるのに自分は家に篭って介護は嫌だよね…」
「好きなおじいちゃんおばあちゃんも嫌いになっちゃうよね…」
「大人でもうんざりしてしまうから多感な時期だと相当しんどいだろうな」
「そりゃそうよ。認知症の人って暴言吐いてくるし暴力も。下の世話して寝不足で暴言吐かれて殴られたら私だって正気でいられる自信ない」
「育三郎さんのヤングケアラー話を聞くたびに、父親何してたんてなってる」
「お坊っちゃんだと思ってた。両親どっちか見なよ…」
「育三郎さんの実家って兄弟4人とも留学してて、高輪に住んでて一般庶民とはかけ離れた資産家だよね。ヘルパーさんもいただろうに、どうしてこうなったんだろ」
「ご本人もヤングケアラーで大変だったろうけど、山崎軍団の友達ふたりが、いい人たち過ぎて泣ける💧」
「そうなりたくないから、家族に迷惑かける前にぽっくり死にたい」
という声も。