(以下引用)
2月10日のサンケイスポーツ裏1面『甘口辛口』という小さなコラムで、編集委員がこう書いている。
〈フィギュアスケートの五輪男子代表にもなった斯界の大先輩が羽生結弦にあえて苦言を呈した。「滑り終えたあと、はまった穴をわざわざ見に行ったのは“ここだよ”ともいいたげで、五輪2連覇の王者にはふさわしくないし見たくはないシーンだった。みんな同じ条件で滑っているんだから…」〉
羽生結弦に対して、称賛記事や応援記事ばかりの新聞の中で、珍しく苦言を呈した。
「羽生は、どの位置ではまったのか確認しに行っただけかもしれません。ただ、このような意見があっても不思議ではないですよ。例えば、野球でエラーした選手がグラブを見れば、道具のせいにするなという意味で『クローブは関係ありません』と言う解説者はいます。それなのに、羽生に対しては、まるで申し合わせたかのように、誰も苦言を言わない。そんな雰囲気が出来上がっている」
同コラムでは団体戦に出場しなかった羽生への疑問も投げ掛けている。
〈そういえば、羽生はSPで2、3位につけた鍵山優真、宇野昌磨の活躍で銅メダルを獲得した団体戦は欠場した。「日本チームの一員である以上、団体戦は出ないにしても頭としてその場にいてほしかった。すべてにおいて、みんなのお手本になる役目が羽生にはあるはず」と前出の大先輩は続けた〉
「このような意見があって当然なのに、熱狂的なファンはすぐに『批判するな』と言う。それは違うんじゃないかと思いますね。そのようなファンは良いコメントばかりを望むのでしょう。しかし、それが羽生選手のためになるとは思えません。『羽生には何も言えない』という異様な空気があると、裸の王様になります。いろんな意見が出て当たり前なんです。
世界のトップ選手なのですから、団体戦で羽生を見たい人は世界中にいたはずです。それが昨今のテレビやスポーツ紙では、良いことだけ言えばいいという雰囲気がある。サンスポのコラムが“斯界の大先輩”という匿名になったのも、その空気があるからでしょう。健全な論評はあって当然。それも応援の形ですよ」
羽生結弦への「論評」が許されない空気への違和感 サンスポは勇気ある苦言もhttps://t.co/LgG8i2aTER
— NEWSポストセブン (@news_postseven) February 18, 2022
〈「五輪2連覇の王者にはふさわしくないし見たくはないシーンだった。みんな同じ条件で滑っているんだから…」〉
羽生結弦に対して、称賛記事や応援記事ばかりの新聞の中で、珍しく苦言を呈した
この話題にネットでは
「自分が常々思っていたことを全部書いてくれていました…正直浅田真央さんとか羽生選手のファンはごく一部ですが宗教チックな感じがしてどうも苦手なんですよね…」
「羽生くん、穴見に行っただけで苦言呈されるの???自分が引っかかった穴気にならん???」
「自分が引っかけた穴でその次の人にも影響でるくらいのものかの確認では?別に羽生選手の大ファンと言う訳では無いけど他のスポーツであっても怪我をしかけた本人しか場所はわからないのだから当然では。グローブのエラーと比較するのは…無理やり裸の王様っていいたいだけでは」
「そもそも一発勝負のフィギュアで論評なんて意味わからない。野球みたいな積み重ねのスポーツではないんだから」
「スポーツ紙で論評(笑)したいなら勝手にすればいいし 結局羽生選手の人気のおかげで売上伸びていい思いしてるのお前らやんとしか…」
「羽生くんの境地だからこそ、言ってくれる人が居なくなったら終わりだと思う。 長生きした人が、叱ってくれる人はみんなもう死んじゃったってしみじみ言うのとある意味似てる」
「同じことを思っている人が居て安心した。 業績は素晴らしいと思うけど、メディアの取り上げ方や、羽生批判した時の周りからの口撃はただただ嫌悪感がある」
「羽生くんにあえて苦言なんてする事ないじゃん、頑張った人をこれ以上虐めないで。。。」
「やっとこの手の論調出てきた? 五輪の本番を未完成技の発表会にして、初認定取りに行った奴より、メダル取った選手を讃えるべき」
「日本のメディアは、男子フィギュアについて、宇野昌磨びいきや鍵山優真好きがいることを忘れないでほしいものだわ。情報量のあまりの偏りに、つい苦言」
「宇野選手も鍵山選手も他競技のメダリスト同様の報道量はあったと思います。羽生選手だから取り上げるメディアが特別多いだけ」
「羽生くんの大ファンです。でも、4Aに挑戦したのだから、穴に引っかかったのだから、捻挫していたのだから、だから仕方ないよね、なのによく頑張ったよね、と、残念ながらすべて言い訳に聞こえてしまった」
という声も。